東京の私立中高一貫生 学生生活編 ボリュームゾーンの中学受験終了

中学受験 偏差値50を半数の親子は超える事が出来ません。そんな世界の話を書いています

ボリュームゾーンの中学受験 勉強したくない子供と、どうにか勉強して欲しい親との攻防

「勉強が好きでない子供に中学受験を強要するなんて教育虐待だ!」そんな声もあるかもしれませんが、勉強が好きではなくても子供は受験を辞めるとはなかなか言いません。

勉強が好きじゃない子供が中学受験を辞めないと言ったから中学受験を続けた結果が幸せだったかどうか。その判断は子供自身が大きくなってから判断すればいいのです。勉強するのも子供、受験するのも子供、その子供の人生はその子のものですから。

 

ボリュームゾーンの中学受験 

勉強したくない子供VSどうにかして勉強して欲しい親との攻防

目指せ!豊洲工大附属中学!

第一志望の中学校のポスターを壁にはり、鉢巻をしめ、必死に夜まで勉強する子に「体調を崩さないようにそろそろ寝なさい」子供の体を心配して声をかける母親。という家庭が東京のどこかに存在するらしいが、残念ながら我が家ではない。そしてそんな家庭は東京でも数パーセントしかいない、私はそう確信している。

息子はプログラミング教室のお友達とイベントに行った豊洲工大附属中学に通いたいと思い、そのためにはどうしたら良いか自分で調べて、私に懇願して来た。塾で勉強したい!頑張るから中学受験をさせて。息子から勉強を頑張る、そうお願いされて喜んだ私は息子を連れて近所の大手中学受験塾の門を叩いた。1回目の入塾テストは不合格。塾のテストに小学生が落ちて入塾出来ないことに驚いたが、2回目であと少しと言われ、3回目の夏期講習前のテストで入塾資格をもらい、4年生の夏休みから渋谷御茶ノ水に入塾したのだった。やっとここから勉強できる、そう喜んだ私をよそに、息子は渡されたテキストをみて「え、こんなのやるの?ゲームする時間が減るじゃん?」と明らかに不機嫌になった。「あなたがやりたいって言ったから入塾したけれど、無理だと思ったら辞めていいのよ。」とその時は優しい声でそう言えた。そう、その時はその会話がまさか受験直前まで続くとは思わなかったからだ、、、。

入塾資格をもらった時の偏差値は算数45、国語38、本当にギリギリだった。みんなはもう半年前からカリキュラムがスタートしている。追いつかなければ。テキストの他に本屋でそれらしい問題集を物色して息子に解かせてみる。幸い4年生の夏期講習のテキストはそれほど量がなかったので他の問題をやる余裕があったはずなのだ。仕事に行く前に、今日何をするか、どんなスケジュールで取り組むか考え、息子がやりやすいように出来るだけ工夫をして家に課題を置いて行く。夏休中は中学受験のサポートにあけくれて、毎日毎日が早く終わらないか、そればかり考えていた。ゲームの時間は毎日1時間。息子とそう約束していたのだが、、、私が置いている課題は適当に終わらせて、毎日3時間以上ゲームをしていたことは、夏期講習最後のテストの結果から私にバレる事になる。

あれだけ私がスケジュールを立て、頭を悩ませたのに、息子はいかに手を抜くか、楽をするかだけ考えて過ごしていたのだ。夏期講習が終わった時の息子の偏差値は40を切っていた。中学受験、なんて厳しい!家庭学習はサボっても塾で勉強をしていたはずなのに、なのに何故?そして息子よ、そんなに出来なくて、お前は何とも思わないのか?何を息子に伝えるべきか、どういう風に伝えるべきか、一度冷静になり、中学受験の親の関わり方の本を読み漁る事にした。中学受験は親の受験?親がいかに子供に自主的に勉強をさせるか??なんだそれ、「自主的に勉強をさせる」って文法がおかしいぞ???テキストのコピーを取って、解けなかった問題のノートを作って、それが出来るようになれば成績があがる、そのノートはお宝ノート???中学受験伴走本を読むたびに大きなため息か鼻から漏れて、眉間に皺が、、、、私はとんでもない世界に入ってしまったのかもしれない。でも息子が入りたい中学があるなら、と自分の心に鞭を打った。息子のモチベーションアップにと本を参考にして、憧れの中学のポスターを息子の部屋に貼った。そして息子自身に「目指せ!豊洲工大附属中!」とポスターに書き込ませた。息子の部屋はその瞬間、受験生の部屋らしくなった。

次のテストで偏差値が5、上がっていたら新しいゲームソフトを買ってあげる。飴とムチ作戦のアメ、息子のにんじんを提案した。案の定息子はその提案に食いついて、好きな算数と理科の勉強は頑張った。国語と社会は相変わらずだけど、算数と理科だけなら偏差値50に近づいた。目標には届かなかったけれど、確かに息子は頑張った。だからゲームを買ってあげたのに。塾の宿題は答えを写して、夜は父親の携帯のロックを外してゲームをしている事が発覚したのは5年生の夏休みだった。理由は「だってゲームがしたいんだ」と至ってシンプルなものだった。伸び悩む成績、サポートに疲れ果てる毎日。「やりたくないなら中学受験を辞めていいよ。」心の底からの提案。私は「じゃあ中学受験は辞める、高校受験を頑張るよ。」本当はその言葉が欲しかったのかもしれない。なのに息子は一度も受験を辞めるという言葉にうなずくことはなく、親子間の信頼は何度もゆらぎ、母親は疲弊し、目指せ豊洲工大附属中だったのに、大学受験まで面倒見の良い学校に合格できればそれが一番。そんな気持ちに心底なって、6年生の12月に一度だけ説明会に参加した学校に進学を決めたのだった。

子供の遊びたい欲求は簡単には押さえつける事ができない、中学受験を通して私が学んだ事。「勉強を自主的にさせる」文法的におかしいというより、やっぱり心理学的にもねじれてるよね。そう気が付き、息子にとってねじれのない丁度良い学校に進学が決まり、中学受験には間に合わなかったけれど6年間、きっと居心地の良い場所で過ごす事ができる。そう思うと満足な結果だった。初めの目標は私達親子には大きすぎた。偏差値53の豊洲工大附属中学は届きそうで、絶対届かない、我が家に取っての難関校だった。とりあえず挑戦してやり切った!中学受験においてはそれこそが奇跡なのだと思えた。

 

大学受験は息子が学校と頑張って、私は応援してお金を出すだけの側に回ろう。6年後の大学受験には絶対に手を出さない!

そう決めた爽やかな春の日でした。