東京の私立中高一貫生 学生生活編 ボリュームゾーンの中学受験終了

中学受験 偏差値50を半数の親子は超える事が出来ません。そんな世界の話を書いています

ボリュームゾーンの中学受験 先取りで逃げ切れ!

先取りの勉強が良いとか悪いとか論じるのは暇人のする事。すばらしいメソッドをすばらしい先生に師事しても自分の子供がハマるかはやってみないとわからない。先取りしようと親が思うなら先取りし、他の事を大切にしたいと思えば大切にすればよいだけ。

ただ、昨今の中学受験を見ていると事実として

算数塾で中学受験塾より1~2年先取り(小5時点で中受カリキュラム終了)

中学受験塾は6年生になった時点で6年生のカリキュラムが終わっている。(小6時点で全終了)

先取りが王道と言える事は間違いない。

先取りなんてしなくても6年生の夏休みに受験勉強を始めて御三家筑駒合格って子も日本で数名はいると思うけれど、普通の子は先取りこそ正義のはずなのです。ただ、その先取りについて行くことやメリットがあれば勿論デメリットもあるのです。

 

ボリュームゾーンの中学受験 先取りで逃げ切れ!

幼稚園から公文に通った。とりあえず幼稚園から始めれば小学校は大丈夫かな、、そんな軽い気持ち。時期を同じくしてに公文に通い出した幼稚園が一緒の男の子のマーくんは娘の1.5倍のペースで進んで行く。すごいね、とママに声をかけたら「先生に頼んで答えをもらって家で〇付けしてるから進むのよ」と進度の秘訣を教えてくれた。せかっく教えてくれたので私も先生に答えを借りて家で〇付けをしたけれど、マー君との差は縮まらずむしろ離れて行き、マー君と娘の違いをさまざまと見せつけられた。男の子と女の子の違いからか、その差が私の心を痛める事はなかったれど、マー君のママから算数の図形の塾にも通っていると聞いて、ちょっとした興味から娘もその塾に通わせることにした。

小学校1年生の夏にparticleという算数塾の話を図形教室で耳にするようになった。そこは中学受験の算数の先取の専門塾らしく、particle出身の子は早秘楠という関東で難関中学合格率NO1の中学受験塾でも上位クラスにいる事が出来るとのことで、小学2年生になるタイミングで図形塾の子のほとんどが算数塾の入塾テストを受ける流れのようだった。中学受験はしてもしなくてもどちらでも良いと思っていたけれど、何となく流れで娘も算数塾の入塾テストを受ける事にした。図形塾でparticle入塾の対策講座もあり、不安だったのでそれも受講した。そのおかげかparticleには無事に合格することが出来た。

小学校2年生からの塾通いは予定外だけれど算数はこれからたっぷり算数塾で解くので公文は国語だけを残し算数と英語は辞めた。算数塾の宿題は、1度間違った問題は〇になるまで何回も解き直しをして、親が〇付けをして提出するスタイル。公文より親の伴走はしっかりと求められた。算数はあまり得意でない娘は算数塾の宿題にかなりの時間がかかった。2年生でも3年生の難しい算数の問題を解いている。時間はたっぷりあったので親子でゆっくりと算数に向き合いながら宿題をこなしていった。

2年生の夏休みに入る前に早秘楠の入塾テストを受けた。偏差値は60。御三家を十分狙えるポジションだと先生に褒められた。まさかそんな偏差値が出るとは思っていなかったし、今のうちに入塾してポジションをキープしたいと思い、それから早秘楠の通塾も開始した。と言っても週に1回。大した負担でもなく、算数塾に比べたら課題も甘いものだった。入塾する必要があるのかどうかと疑問に思いながらも、算数塾で苦労した分早秘楠のテストで結果が出るので娘は楽しそうに毎日を課題に追われる生活を送っていた。

小学校4年生になると娘の塾内のクラスはS(スーパー)クラスの下位になった。偏差値にして50代後半。2年生から鍛えていたのに偏差値が下がっている事に少し不安は覚えたけれど、まだまだ女子では御三家が狙えるポジション。Sクラスにいるという事は娘の自信にもなっているようで学校の保護者からも娘さん賢いのですね、と言われるようになった。賢いのではなく努力をしている、親子ともそう言いきれる自信があるほどしっかり毎日勉強をしていた。算数塾に取られる時間も、早秘楠に取られる時間もそれなりに長いけれど、それでも楽しい毎日だった。

志望校も御三家のどこにしようか密かに夫と決めていたし、他にも目ぼしい学校の説明会や文化祭に積極的に参加した。どこも素敵な学校に見えたけれど、女子校で宗教のない学校がいいと娘が希望していたので受験する学校は目星が付いていた。

4年生の後半になると早秘楠の理科と社会に時間が取られるようになり、算数塾の課題もなかなか進まなくなった。それでもこの算数塾の先取りが娘の勉強の自信を支えていると親子ともに認識していてたので休みの日も真面目に課題に取り組んだ。頑張った分が結果になる。そう思っていたけれど、ある日算数塾の先生から忠告があった。「お母さま、これからもっと算数が得意な子が早秘楠に入塾してきます、お嬢様の偏差値も下がるかもしれません。それでも、努力は必ず報われるので、その事を踏まえて取り組んでください。」先生の表情は真剣だった。その頃、算数塾に入るきっかけになったマー君は飛び級クラスで算数塾のカリキュラムを1年早く終わらせ入試問題に取り組み始めると言う話を聞いていた。算数ができる子はうんと出来る。その事はわかっていた。なので先生に言われた事も仕方ないと思うしかなく、私たちは日々の課題を真面目に取り組み続けた。

今まで積み上げたものが揺らいだのは5年生の夏休み前。タイミング悪く夏期講習のクラスを決める大切な模試で、Sクラスから落ちてしまったのだ。長い夏期講習、お友達に塾で毎日顔を合わせるのに「Sから落ちた」と陰で言われて娘のプライドはひどく傷付いていた。それでも必死で算数塾と早秘楠の課題に取り組む。旅行もせず、そもそもどこかへ行く時間がない。もともと時間に余裕がなく勉強をしていたので、これ以上捻出する時間がないのだ。その事に初めて気が付いたけれど、だからと言ってどうする事も出来ない。私の動揺を娘に気が付かせないように、周りが旅行だ息抜きだと言っている間に進めなければと先取りの重要性を改めて感じていたので歩みを止める事はなかった。

夏期講習明けのテスト。つまらないミスたった1つ、たった1点のためにクラスがSに戻らなかった。4年生から塾に入ってきた小学校の同級生の男子が娘と同じクラスまで上がって来た。「やった、同じクラスまで上がれた。」と4年生でギリギリの偏差値で入塾してジワジワ成績を上げて上機嫌の男子とは反対に、娘の表情は硬いままなかなか笑顔が戻らなかった。5年生の冬休みまでにSに戻そう、そういう約束だったが、秋に学校の宿泊行事と重なったりして思う様に勉強ははかどらなかった。娘は「もう無理。私、理科の実験教室とか行ってないし、作文コンクールとかやってないし、スイミングで体力とかつけてないし、お母さん、どうして私は体力とか付けてくれなかなったの?理科の実験教室にも通いたかったよ、テキストだけじゃ全然わからない。」と私に文句と不満をぶつけるようになっていた。二人三脚で頑張ってきたのに、片足が動かせない状態。娘の反抗期は成績低下と同じタイミングでやってきた。

「泣き言事を言う暇があれば勉強しよう。」とたしなめても

「は?お母さんの言う通りに勉強して成績下がって来てるじゃない?今やってもどうせ下がるんじゃないの?」「私が何て言われてるか知ってる?勉強だけしかできなかったのに、最近勉強もイマイチって言われてるの。」「こんなに頑張っても成績が上がらないじゃない、もういい!」娘の言葉は日々エスカレートして行き、私の心も常にぐらぐらと不安定になった。娘からどんなに反抗されても1人で勉強の自走ができる訳ではない。毎週出される理科社会の大量の暗記や、算数のテキストのやり直し、全て私のサポートがあっての事だ。娘と関わらない訳には行かない。関わると、娘は私に不安と不満をぶつけるし、私も全てをプラスに返せる訳でもない。楽しい勉強の時間はすっかり苦行の時となり、娘の偏差値はついに50を切ってしまった。それでも中学受験を辞めるという選択肢は全くなかった。ピアノや英語バレエなど、勉強の代わりになりそうなものに何一つ取り組んでこなかったので、逃げ場がなかったという方が正しいかもしれない。やりたくなくてもやるしかなく、中学に入学する事だけが私達の目標になっていた。

もう塾に行きたくない。疲れ果てた娘が強い口調でそう言ったのは6年生の4月だった。春期講習の算数。一度やった単元のはずなのに、何だか良くわからない。社会の単元も全て滑るように過ぎて行き、理科のしくみも良くわからないのに計算まで求められる。周りには理科の実験なら得意とか、社会の地理がマニアックに暗記出来ている子とか、何かしらの強みがある。少し前まで娘の強みは算数だったのに、その算数もすっかり自信をなくしている。そして娘の一番の強み。コツコツと勉強をすること。それが今では皆がコツコツと勉強をしているので追い返せないのだ。ずっと勉強をしているので爆発力というものもなさそうだ。もう塾に行きたくない、自分の力のなさを感じたくない、強い不安が怒りに変わり、その怒りの矛先は全て私に向かっていた。

自信を付けて欲しい、難しい早秘楠のテストではなく、他の塾の合不合テストを受けてみた。偏差値が10は上に出て欲しい。そう願ったのだが算数だけ偏差値は10上に出たものの他は軒並み早秘楠とそう変わらなく、出た偏差値は55だった。特に国語の傾向が違ったので仕方ないとは思ったけれど、その数字には私は少しがっかりしたが娘は算数塾でも早秘楠でも偏差値50に届かない事が続いていたので、嬉しそうだった。渋谷御茶ノ水偏差値50~55の学校はちゃんと見学に行っていなかったので、その偏差値帯の学校も見に行かないとなあ、とぼんやりと思った。

そこからの娘は「もう算数塾は行かない。あんな難しい問題が出る学校は受験しない。私はそんなに賢くない。」と難問にじっくり取り組む事を辞めた。塾の課題は取り組むものの全て終わる事はなく、クラスは早秘楠の偏差値44~48の帯に落ち着いた。手抜きをする訳でもなければ熱中する訳でもない。夏休みは毎日顔色が悪く、それでも課題をこなした。日々が大変すぎて志望校を選びに学校見学に行くことすら忘れていた。

特に志望校を決めることもできず、偏差値帯で適当な学校を志望する事になりそうだと気が付いた時には10月で、最後の学校説明会が繰り広げられていた。それでも全ての説明会に参加する事も出来なかった。娘は説明会に行った学校の一つ、女子のマンモス校が気に入ったようだった。色んな部活があり、興味のある事を探す事ができる。小学生での経験が少ない娘にはとても良さそうな学校だったし、今のところ安全圏内だ。でもせっかく頑張ってきたのだから、もう少し上の偏差値の学校を目指してくれないかな、娘には内緒でそう思って、毎晩学校の資料や過去問を読み漁った。

11月の塾の面談で諦めずに準御三家クラスを受験するか、それともその下のクラスを受験するかで迷ったが、2月1日に不合格となり難しい戦いにしたくない、安心できる学校でゆっくり自分を探したい、と娘の希望に沿うプランにした。2月1日に娘志望のお守り校、2月2日にチャレンジ校(私の第一志望)、さらに2月3日にチャレンジ校というプランにした。2月1日にお守り校に合格し、2日のチャレンジ校に臨むも不合格、3日はもう受験したくない、という事で2月1日の学校に進学が決まった。とても素敵な女子校だった。

元はと言えば御三家と思っていた私は少し気落ちもしたが、多分この学校すら娘にとっては先取りしていたから入学できた学校。実力が余裕だから入れた訳ではないはずだ。それでも娘にとってこのコツコツと努力できるという武器は大きいはずで、きっと未来彼女は何かを成し遂げるだろう。そう希望を持つことはできた。公文から一緒だったマー君は無事に西日暮里学園に合格、緑針会という大学受まで験の塾に入塾するそうだ。大丈夫、マー君なら楽しんで勉強するだろう、そんな気がした。

結果だけ知っている人は素直に「いい学校ね」と言ってくれる。しかし低学年までの好調を知っている人は「あら、、」「残念だったわね。」と言われた。でもそんな他人の進路に口出しをする暇人の事はほおっておけばよいのだ。ここまでは中学受験までの話なのだ。

娘の未来はこれからだ。

 

※この話はフィクションです、実在の人物団体等とは全く関係ありません

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