東京の私立中高一貫生 学生生活編 ボリュームゾーンの中学受験終了

中学受験 偏差値50を半数の親子は超える事が出来ません。そんな世界の話を書いています

ボリュームゾーンの中学受験 中学受験は重課金!?

偏差値60以上の子供が上位30%いるように偏差値40以下の子供も30%いるものです。ほぼ勉強せずに偏差値60以上を取る子もいるように、勉強しているのに偏差値40に届かない子もいる事も想定できますよね?その偏差値40近辺から脱却するためにプロの手を借りる事はおろかでしょうか?

ボリュームゾーンの中学受験 中学受験は重課金!?

どこかの誰かは存じませんが「基礎を積み上げれば誰でも偏差値58までは上がる」なんて仰っていた方へ。どうせなら、「基礎が積み上げられない子はどうしたらよいか」までセットで発言して欲しかったわ。

ツブヤイターで誰へともなくつぶやいてみた。

夫婦で中学受験を経験しているから息子も中学受験を視野に入れて幼稚園から公文に入り、小学校2年で大手中学受験塾の渋谷御茶ノ水に入塾、ずっと真面目に取り組んできている。真面目な努力は報われることがなく、理解しきれないまま単元が進んでしまったり、その時は出来たと思っても翌週にはすっかり忘れてしまっていたり、そんな事ばかりが続いている。私のサポートの仕方が悪いのかと親塾に入り子供への声のかけ方を工夫したりで取り組んでみたけれど、、、息子の成績は偏差値44の壁をなかなか超えない。一般的には知られていないけれど、きっとこの辺りにも壁がある、ツブヤイターをさまよいながら最近そんな確信にたどり着いた。

せめて1教科で良いから平均点より上が取れる得意科目があれば、つまり偏差値50を取れる1教科あれば自信が付くと思うけれど、算国理社、何もかもが偏差値50を超える事が1度もないまま4年生が終わろうとしていた。

「私たちの時代は中学受験と言えば5年生からの通塾だったし、今ほど勉強は過酷じゃなかったよね。今までも成績を上げようとしてきたけれど結果が出なくて、これからどうやってサポートしていいかわからないわ。」と夫に相談をしてみた。「俺は算数は得意だったから、中学受験は暗記を頑張った記憶しか残ってないんだよね。後は塾でお弁当を食べた事とか。結構ふざけながら授業を聞いていた気がするよ。」夫も中学受験の記憶はほぼ無いらしく「今は親が付きっきりで勉強を見るのが主流みたいだけど経験者と言えサポートはしたことがないんだから、それならプロに任せようか?」という流れとなり、5年生からは家庭教師を依頼することになった。ようやくこの成績を上げなきゃというプレッシャーから解放される。夫の母校は昔より偏差値がぐんと下がっていて偏差値は52位と入り易くなっている。姑も元中受親ママだけあり、この辺りの数字には敏感で「昔より入り易いし、いい学校だし、志望校は夫の母校にすれば良いんじゃないの?」と過度な期待はしていない旨を匂わせて優しく話をしてくれるお姑さんに「うちの子、偏差値50も遠いんです。」とは言えない私をきっと家庭教師は救ってくれる。そう希望を持った。

夫が頼んだ「家庭教師のミライ」の経験3年以上の講師からグレードアップして、最高料金の講師を算数と国語の2教科2名、息子の家庭教師に迎える手配を整えた。差額は私の実家の母が出してくれた。人気の先生はスケジュールに空きがなくてすぐに依頼はできなかったけれど、それでも依頼したのは最高級の講師、きっと息子の成績も上がるはず。入塾相談の際の「小学校5年生に上がる今のタイミングで良かったです。今なら間に合いますのでここからじっくり偏差値を上げて、準御三家を目指しましょう。」その言葉に目がチカチカするようだった。じっくりプロが伴走してくれるんだもの、本当にそんな学校が目指せるかも。いつも弱気のツブヤイター投稿をしているけれど今日は「5年生、そろそろ本気を出しちゃいますか!」と浮かれた投稿をして、いいねの数だけさらに良い気分になった。

5年生4月。集団塾の通塾が週に3回、家庭教師が各教科週に1回ずつ家に来る。すぐに算数は週に1回では追いつけないと先生から説明を受け、もう1コマ増やす事を決めた。夫には「え、1か月の料金はいくらになるの?もう少し様子を見てからで良くない?」と少し驚かれたけれど「この算数のテキストを見て。こんなに早く単元が進んで行くの。私たちの頃と大違い。しかもやる内容もずっと難しくなってるわ。」と私達の頃と違う事を説明した。夫は素直に「すごいな、今はみんなこんな進度で問題を解いているんだ。」と納得してくれて、家庭教師は算数が週に2回、国語が週に1回になった。夏休み中はさらに家庭教師のコマ数を増やし、5年生の夏休みってこんなに大変なの?と成績を上げるというより、カリキュラムについて行くのが精いっぱいという感じで慌てふためきながら長い夏が終わった。

夏休み最後の模試。「算数-46、国語-51、理科-38、社会-39、平均偏差43,5」とまたしても44の壁を越えない結果。よろめきながらツブヤイターで「あちらが上がればこちらが下がる、この現象なんて言うの?」と呟いてかろうじて冷静を取り戻した。準御三家どろこかまだまだ50が遠いですよ、、、これ以上何をどうしよう、理科も社会も家庭教師を付けるの?と考えてみたけれどわからない。実家の母に相談すると「この際だから理科も社会も家庭教師を付けなさい、援助するわよ。」と申し出てくれ、夫は「2教科で受験できる学校に絞れば?」と全く違う案を出し、姑は「家庭教師を頼んでいると聞いたわ、せっかくだから直接有名な講師にお願いできないか聞いてみるわ。」と申し出てくれ、そして最後に「でもどうするか決めるのは母親のあなたでいいから。」と任せてくれるのでした。

私も正解がわからない、任せないで。その気持ちを「中学受験。本当に沼」とツブヤイターに投稿する。すぐにツブヤイター仲間がコメントといいねをくれる。私の精神はツブヤイターで保たれていた。

2教科受験にするという夫の案は集団塾からも家庭教師のミライさんからも却下される。結局、理科と社会も家庭教師をお願いして、さらに6年生に上がるタイミングで算数と国語は有名な先生に付くことができた。算数の先生は全教科見る事ができるとおっしゃる方で、その方に理科と社会の指導もお願いし、家庭教師のミライは辞め、集団塾の内容も家庭教師の先生の指導通り「やる単元、手を付けない単元」に絞って進めて行った。志望校はいつの間にか「夫の母校」という事で確定していたが息子も私も「夫の母校に受かれば義母に申し訳が立つ」という程度の志望動機しかなかった。もう終われば何でも良い、本当はそんな気持ちだった。

息子の平均偏差値は夏休み前には44に届き、44の壁を越えた。ツブヤイターに「松竹梅の梅コースをずっと来たけれど、もしかしたら竹になれるかもしれない希望が見えてきた!」と歓喜の投稿をした。イイネ、をもらって、ツブヤイター仲間の投稿にもイイネを押しまくって、最後の夏に諭吉を大投下する覚悟を決めた。

夏休みは家庭教師の指示により家庭教師が入っている日はオンライン授業で集団塾の講義を受けた。「オンラインの時はお母さまは後ろで息子さんが授業を受けている様子を見守ってください。基本見ているだけで構いませんが、たまに授業内容について会話してあげてください。」と言われた。息子と一緒にオンライン授業を受けて気が付いたのだけれど、息子は塾の授業をきちんと聞いていなかった。先生の話が長くなると気持ちがどこかへ行ってしまうらしく「ここを解いてください。」と言われてるのに何をする時間なのかわからない事がままあった。どこを解くかを私が教えたり、「先生が聞いている意味がわかる?」と確認すると意味がわかっていない事が多かった。ようやく気が付いたのだけれど、息子に渋谷御茶ノ水のテキストの内容は難しすぎて理解不足になってしまう事、授業を聞く態度が出来ていない事、この二つが重なって集団塾に通っても偏差値50に届かないのだと理解することができた。

家庭教師の先生にその話を確認すると「そうですね、今の偏差値を見るとそういう事になります。だからと言って渋谷御茶ノ水への通塾が無駄だったとは言えません。なぜなら理解できるスピードを重視して授業を進めると今度は受験までに全ての単元が終わらなくなるからです。」ともっともな意見をもらった。「この夏休みで一通りの復習は完了します。後期も集団塾に通ってもよいですが、志望校に合わせた対策に振り切っても良いと思います。どうしますか?」と先生に聞かれ息子に意見を聞いてみた。「どっちでもいいよ、ママはどっちが良いと思う?」小学校2年生から通った塾への思い入れなど微塵もないのか、興味のかけらもなさそうに息子が答えた。私も答えがわからない、もうプロの先生の言う通りにしよう。そう考え、先生が提案するように9月からは合不合ではなく首都近郊模試を受ける、渋谷御茶ノ水はやめる、過去問の傾向に絞って勉強する、の3本柱で進める事にした。

夏休み最後の模試の成績は46、これまでで最高だった。夏休みにかかった料金、集団塾に30万円。家庭教師に35万円、親の援助がなければ出せない金額だったけれど、とりあえずお金の事は考えない事にした。適正価格がもうわからなくなっていて、そんな自分が怖かった。

首都近郊模試で間違えた問題をやり直す、過去問に頻出分野を繰り返す、過去問は現第一志望校、抑え校、傾向が似ている学校2校、の4校に絞っていてもやる事は沢山あった。11月の首都近郊模試で第一志望C判定、抑え校A判定になった。これでも過去最高。渋谷御茶ノ水の模試は受けていないのでわからない。説明会には何度も行ったので本当は行く必要がないのだけれども11月の第一志望の最終説明会に行き、個別相談で夫の母校だしどうしても入学したいと相談もしてきた。有効かは不明だけれど、第一志望のために出来る事は全てやる、家庭教師の方針だった。何かの熱に飲み込まれたように、11月、12月が過ぎて行った。

1月には過去問の合格点を超えるようになった。渋谷御茶ノ水の偏差値がもうわからないので不安だったけれど、1月の埼玉校受験で偏差値46の学校に合格できればそのまま第一志望偏差値53の学校を受験する、42の学校に落ちたら第一志望を過去問を解いてきた偏差値45の学校に変える、という作戦だった。なので埼玉校の緊張は相当なもので、1回目の偏差値46の学校には落ちたが、2回目で合格することができた。家庭教師は私以上に喜び、息子も家庭教師と喜びを分かち合っていた。そして、今まで見た事がなかったやる気スイッチが入ったのか息子は積極的に勉強をするようになった。もう本番までやる気スイッチは入らないのではと諦めていたのに。埼玉校の合格も重なって、どんどん家庭のテンションが上がって行った。それでも2月1日の第一志望の倍率が気になって、何度も倍率が載っているサイトを見に行く。見ても変わらない、いま親が出来る事は健康管理だけ。1月20日頃から31日までの10日間は、ここ数年で一番長い10日間に感じた。親が出来る事は健康管理だけ。2月1日に全力を出し切るサポートをするだけ、そう言い聞かせても落ち着かない。出産予定日前の数日間に似ていた。

2月1日の事を私は生涯忘れないだろう。30日の夜から眠れない。31日は明日寝坊してはいけないと更に眠れない。午前校と午後校の休憩場所を確認して、朝食に何を食べるか確認して、ほぼ眠らずに朝を迎えた。無事に志望校の入り口まで送り届けた。息子の背中を送り出し、それだけで涙が出て来た。

息子を送り出した後は一旦帰宅して学校の近くまで車を運び、学校の控室に向かう。出願を早くしたので試験番号が早かった息子は試験終了後すぐに教室から出て来て私と合流する。車に乗り込み、午後校との中間地点にあるファミレスで家庭教師の先生と合流して3人で午後と明日の確認をしながらご飯を食べた。食後私と息子は車に戻り少し休憩した後、先生も車に乗せて近くの駅まで行き、午後校は先生が送り届けてくれた。

午後校の受験から帰宅するとすぐに第一志望の合格発表の時間だった。息子と一緒に緊張の手で結果をクリックする。無機質なパソコンは、指示された通りに淡々と次の画面を映す。

合格。桜の舞う画面。無事に第一志望に合格。ああ、、となんとも言えない声が漏れ、息子は家中に響き渡る声で喜んだ。早速ツブヤイターに「無事に桜咲きました!」と投稿して夫に「母校に合格したよ。」と連絡、お姑さんに電話。家庭教師のヘは夫と一緒に電話をかけた。「おめでとうございます、合格すると思っていました。中学でもよろしくお願いいたします。」と中学でも数学を見てもらう約束をして電話を切った。

偏差値では一度も50を越えなかったけれど、53の学校に合格した。大手塾に家庭教師、かけららる所には全てお金をかけた。やる気がない息子も最後はやる気になった。「偏差値58までは何とかなるという話は本当かもしれない」ツブヤイターに都市伝説のような投稿をした。

 

※この話はフィクションです、実在の人物団体等とは全く関係ありません

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