東京の私立中高一貫生 学生生活編 ボリュームゾーンの中学受験終了

中学受験 偏差値50を半数の親子は超える事が出来ません。そんな世界の話を書いています

ボリュームゾーンの中学受験 模試の結果は気にしない?

模試の結果に一喜一憂しない

受験が終わってみれば結果は模試の偏差値通り

模試一つ取っても都市伝説がいっぱいあるのが中学受験。

捉え方は違えど、模試という山を一つ一つ乗り越えながら進んで行く中学受験登山隊、登山隊は各塾のから行程表をもらい、各家族ごとに進んで行くのであります、、、

ボリュームゾーンの中学受験 模試の結果は気にしない?

自分の人生において偏差値60代以下の数字を見た事がなかったので息子の4年生5月の渋谷御茶ノ水の模試の結果を見た時は天地がひっくり返る思いがした。2月に入塾して、真面目に勉強をしていたはずなのに偏差値44。中学受験をする優秀で意識が高い親の子供達が受ける模試の結果なので仕方ないと言える数字なのかもしれない。と言えども息子だって小さい時から博物館や体験型学習は勿論のこと習字や通信教育やドリルなど学習は一通りやってきたし、夫婦揃って難関有名私大出だ。さすがに偏差値40代は想定していなかったので模試の結果を見た瞬間は夫婦で言葉を失ってしまった。「職場の人が言っていたのよ、中学受験は大変だって。辞めるなら早い方がいいそうよ。」息子に対する期待は自分以上にあるはずだ。その妻が簡単に白旗を上げるはずはない、要は高校受験に切り替えた方が良いと言っているのだ。しかし高校受験より中学受験をする方が良い人生が送れそうという家族会議をしたばかり。今の息子の成績で決断するには早い、半年は様子を見よう。その方針に妻も納得して、念入りに予習復習を週末に行う生活になった。氷河期世代の我が家は共働き、そしてその割に高収入ではない。年中になる保育園に通う弟もいて子育てに余裕もない。しかし平日は仕事と家庭の往復しかできず、子供に向き合う時間的な余裕がない我が家にとっては私立中学に入学させてしまう方が中高と子供を安心して学校に預ける事ができ私達も仕事に打ち込める。中学受験への参戦理由の一つだ。そう簡単に音をあげたくはない。お金持ちの子供達に負けずに、息子ならそこそこの中学に入る事が出来るだろう。きっと今が頑張り時。偏差値表をみつめて、息子の偏差値が65まで上がるまでの道のりを考えた。ゆっくり偏差値を上げるより、一気に駆け上がりたい。平日の会社で中学受験について調べる時間が増えて行った。

6月の組分けテスト。微妙に偏差値はアップした。偏差値48。たった4ポイントしか上がらなくてがっかりしたが、そのまま夏休みまで上がり続ける。そう思いさらに週末の勉強の時間を増やした。妻が漢字国語社会担当。私が算数、理科の担当。下の弟は祖父宅か囲碁教室に通うようになった。妻も私も息子の勉強の間違えた問題を解き直すノートを作り、会社の昼休みなども活用してサポート体制を整えた。7月の組分けテストでは偏差値は52。ようやく50を超えた。ようやくここからスタートだと気合が入った。

夏休みは講習に通い、講習の前後は祖父母に弟と一緒に宿題を見てもらった。近所では蝉の声と子供の声がする中、息子は弟と1日1時間ゲームやインターネットでわかりやすい理科の実験の解説をしている動画や、算数の解き方の動画を見て、気晴らしをしていた。出かける事が出来ずに少し可哀そうに思ったが、中学受験をするというのはそういう事。そう自分に言い聞かせた。お盆休みの半分はきっちり勉強したが後半は家族旅行にも出かけて、それなりに頑張った夏休みを過ごした。最終日の模試ではもう一息伸びを期待したけれど今回は今までの調整の場だったのか偏差値は51と前回とあまり変わらずがっかりしたが、3月と比べたら7ポイントは上がっている。もう半年かけて5上げるというプランに変更して私は中学受験関連の知識を詰め込んで行った。

今は他の塾での立ち位置はどの程度なのだろう、と気になった。記述が多いと言われるハピクスのテストを受けてみたくなり、9月に行われた模試に申し込んでみた。テストの後半は全然わからなかったと言っていた息子と一緒にインターネットで結果を見た。数字を見た瞬間に頭に血が上り「何をやってた!?。」と大声を出さずにはいられなかった。息子についた偏差値は37。まさかの30代だった。初めて見る30代の偏差値。本当にこんな偏差値があったのかと驚愕する。「本当に問題の文章を読んだか。」「見直しをしたか。」「選択肢に違うものには印を付けて行ったか?」テストの解き方やテクニックを変えるだけで得点できそうな問題も沢山あった。でもそれらをやらずに息子は本当に悲惨な数字をたたき出したのだ。ありえない、本当にありえない。試しに受けたつもりだったのに墓の中まで響きそうな声で息子の普段の勉強態度を罵ってしまった。

息子が眠った後冷静になって問題と解答を調べてみた。社会と算数の偏差値が30代前半だったが渋谷御茶ノ水ではまだ履修していない事がわかった。それならば仕方がない、、と自分を落ち着かせた後、息子を叱りすぎてしまった事に気が付いた。ハピクスの模試は渋谷御茶ノ水とも勝手が違う。そう言い聞かせたが、やはり息子のテストに対する態度の甘さがどうも目についてしまった。

そもそも息子はあと1点を取ろう、少しでも点を取ろう、という気持ちがないように見えた。もう1度選択肢を確認すれば解けそうな問題も見直しをしていない。1点に執着する気持ちがミスを減らし、1点を大切にする気持ちが次のテストへの工夫を生む。1点を大切にしろ、もう一度見直せ、次のテストまで毎日毎日声をかけ続けた。

渋谷御茶ノ水の模試で57を取った。57、ようやく60が見えて来た。入塾から12ポイントも上がったのだ。あと少し。あと少しで難関中が狙える。ようやくスタートラインまで来た。妻と息子と喜び、秋の学校見学は偏差値60を中心に通えそうな学校の説明会に足を運び、少し勉強がおろそかになってしまったが、今は仕方がないと割り切った。その中に2校ほど志望校を見つけた。1校は第一志望、海成中学。面倒見のよい男子校。第二志望は芝公園中学。立地が良く、なにより学校の雰囲気がとても良かった。偏差値は60で今から頑張るにはちょうどよい数字だと思った。ここに通う。目標がはっきりしてやる気が膨らんだが、次の模試は学校の運動会と重なり、振替で翌日テストを受けた。運動会の練習と重なった事、学校見学会も重なった事で勉強不足気味になっていたので結果はそれほど気にしなかった。偏差値は54。この3ポイントはとても大きく感じた。ここで気合を入れるぞ。息子にカツを入れた。

息子の偏差値は国語、社会、理科、算数の順で安定していった。5年生夏休みが終わる頃の偏差値は56。算数の時間は苦戦しているがそれほど苦しそうではなく、逆に社会や理科はサラっと終わらせる割りに取れていた。記憶力がよいのかもしれない。算数さえ何とかなればもっと上がる。休みの日はほぼ算数に割り当てたが、算数の偏差値は55をなかなか越えなかった。

5年の10月の模試。息子が出した偏差値は44。前回の模試が56。今回44。リビングで学習している息子の前でスマホで成績を確認した私は息子の解いていたテキストを取り上げて投げつけた。スマホの画面を見せ、この結果は何だ!と大声で罵った。すぐに息子は涙目になり、今回はいつもとテストの受け方が違って戸惑った。テストを受ける場所も違ったんだよ。ごめんなさい、ごめんなさい、とひどく怯えた様子で謝った。テストの勝手が違うだけでそれほど偏差値が下がるのか!?理科と社会は何だ?こんなの見た事ないぞ!とそれでも責め続けてしまった。謝って怯えるだけの息子に更に腹が立ち、テストの直しに一緒に取り組んだ。いつも算数ばかりなので理科の確認をするのは久しぶりだ。確認すると息子は基本の知識すらろくに暗記をしていない事がわかった。どうして?今回だけ?怒りが収まらないまま確認を続けた。怒りは増し続けた。「ただいま」と妻の帰宅した声が聞こえた。妻に模試の結果を見せると妻はすごい声で息子を叱りつけた。目には涙をためていた。その瞬間、私の中でスイッチが入り「夫婦2人で叱っても仕方ない」と妻をなだめる側に回った。

今までは睡眠時間も必要だと息子は10時半には寝るようにしていた。しかし、泣いても喚いても後一年半だ。この日からは12時までに寝るというルールに変更して、夜中まで勉強をする事にした。遅かったくらいなのだ。クラスも1つ落ちてしまった。何が何でも元のクラスに戻さないと行けない。今戻さないとこれまでの努力も報われない。あと1年で受験本番。6年生の難関向けのクラスに入れなければ難関校なんて絶対に届かない。考えれば考えるほど焦りが増す。次の模試は11月。11月で偏差値50を取れなければどうしよう。このままの偏差値が続いたら中学受験を続ける意味があるのか。偏差値45近辺の学校を偏差値表から探し、その学校の特色を調べると第一志望の海成中学に比べて色あせて感じる。やはりどうしても57まで戻すしかない。思考が同じところをグルグルと回り続けた。隙間時間は中学受験について調べ続けた。

11月の模試。偏差値はぴったり50だった。50までしか戻らない。でも50まで戻った。一安心したが、目指しているのはここではなかったはずだ。模試の前日は息子は学校を休み、私は有休を取った。それでも50だったと考えるか、前回からポイントを上げられたと考えるべきか。そして冬休みをどう過ごすか、新たな問題。一難去ってまた一難。中学受験の過酷さに後一年頑張り続けられるか自分でも自信がなかった。下の子も遊びたいという希望もあり、お正月は都内にある私の実家で2日だけ過ごした。その2日は最低限の勉強以外はテレビを見たりゲームをして過ごした。気が付いたら下の子は来年小学生になる。2人ともゲームの腕もすごく上がっている。その意味に私はすぐに気が付いた。

年明けの志望校判定テスト。テスト範囲が決まっていないテスト。結果偏差値は48。予想通り悪い。前回の激怒を教訓に、模試の結果は息子がいない所で見た。結果を見た瞬間、あはっ、と卑屈な笑い声が思わず出てしまった。特に理科社会が足をひっぱっている。どうやら暗記科目はあっさり覚えてあっさり忘れる様だ。息子の特性がわかった。これ以上は私は頑張れないのではないか、息子の成績は上がらないのではないか、そんなあきらめと、それでも6年生からの大逆転という希望も捨てきれない。中学受験は親が先に音を上げると本で読んだが本当にその通りで、音を上げて撤退した方が良い未来が待っている気もした。6年生から数学と英語の先取を始めて高校受験で難関を目指す。そういうルートもあるはずだ。でも、中学受験の今こんなに頑張っているのにこんな偏差値だ。高校受験に切り替えた所で良い結果が出るのか。高校受験と反抗期が重なって中学受験を続けておけば良かったという結果にならないか。結局撤退の決断はできずに5年生の2月、つまり6年生のカリキュラムに突入した。

寝ても覚めても仕事をしても、考えるのは息子の中学受験関連の事ばかりになった。

偏差値45~55のボリュームゾーン。ここから抜け出せるのか、抜け出せた人数はどれくらいいるのか、塾では絶対に資料があるはずだ。その資料を開示しないのは何故なのか。ボリュームゾーンから高校受験に切り替えた結果の資料もあるはずだ。その資料も確認したい。上位クラスでは名前の付いた学校別特訓クラスの選抜案内が届いたが息子はそこにはまったく縁がなさそうだ。この中学受験レースに参加し続けていったいどこに着地をするのだろう。息子は今日も学校から帰って勉強をしているはずだがお正月に確認したゲームの腕前だと隠れてゲームをやっている、やっているなら今だろう。イライラが止まらなかった。模試の結果に気分も思考も振り回されて、私は一喜一憂どころかノイローゼ寸前、もしくはノイローゼだ。GWに前に妻から「偏差値45~55の学校も見に行こうよ。」と誘われ妻に今弱気になるのか?と言い返してしまった。その偏差値帯の学校を見に行くと私の心は失速してしまいそうな気がした。妻の言葉は甘い堕落の誘惑だ、そう思った。

2月1日にたどり着けるのだろうか。いいや、必ずたどり着く。

6年生4月の志望校判定模試の結果待ちの今、残りの模試はまだ5回以上あるし、苦手を克服する時間も工夫をする時間ももっとあるはずだ。2月の勝者になろう、自分に言い聞かせて2月までの偏差値を上げるためのプランを組み直す。計画通りに行かないのは知っている。でも模試を目安に計画を立てて行くしかないのだ。絶対にやり抜く、私はそう誓う。

 

※この話はフィクションです、実在の人物団体等とは全く関係ありません

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mamahensachiagetai.hatenablog.com