東京の私立中高一貫生 学生生活編 ボリュームゾーンの中学受験終了

中学受験 偏差値50を半数の親子は超える事が出来ません。そんな世界の話を書いています

ボリュームゾーンの中学受験 家族団らんの時間が消えても難関校には届かない子が多数という現実

子供が小学生の間。平日夜はリビングで一緒にテレビを見て談笑し、夏休みは旅行をして家族の思い出を作り、6年生ではスポーツチームの主要メンバーとして活躍する息子の応援をする。それが理想という訳ではないけれど、普通の子供が小学生の間の生活はそういう感じかな、と漠然と想像していた。

しかし、もし子供が中学受験をするのであれば、親子で通常は当たり前と考えられる小学生活を一緒に楽しむ機会はほとんどなくなることになる。そしてそうしても、難関校と言われる学校に通えるのは一握りの家族である事も、意外と認識されていないのだと思う。

ボリュームゾーンの中学受験 家族団らんの時間が消えても難関校には届かない

息子が小学校3年生の秋に妻から中学受験について相談というより「息子は中学受験をする」と報告があった。MARCH卒の私は社会でMARCH卒とそれ以上の世界が全く違う事を良く理解していたし、同じ大学を卒業して就職氷河期をどうにか乗り切り、環境が良いと言えない会社でずっと働き続けている妻はもっと思う所があるのだろう。中学受験をして高い確率で良い学歴を得て欲しい。妻のそんな気持ちに反対する理由は何もなかった。

当時の私の心配は金銭的な事くらいだったが、子供1人の共働き夫婦。中学校1年間にかかる学費はおおよそ100万円。それほど無謀な計画ではない、そう思えたので3年の秋からの通塾開始を快諾した。4年生になった頃、息子の偏差値が気になり妻に尋ねると妻は渋谷御茶ノ水の偏差値表を出して来た。息子の偏差値は47。夫婦の母校の附属校の偏差値は58。全然足りないが妻は「まだ勉強を始めたばかりで47は悪くない方、サッカーにも週に3回通っているし、4年生の間に徐々に上げて行きたい。」と冷静な分析をしていた。私が見ても確かに息子は机に向かっているし、塾にもきちんと通っている。まだ余裕がある。妻が言うように大丈夫な気もするが、多分皆も同じように考えているのかと思うと少し焦りはあった。その焦りを抑えてそっと妻と息子の様子を見守っていた。

帰宅すると息子と妻のいがみ合う声が聞こえるようになったのは4年生の後半からだ。「暗記したの?」「宿題終わったの?」詰め寄ってばかりの妻に息子は「やってるよ。」「やるよ。」と妻と同じ口調で返し始めたのだ。妻の事は賢い女性だと思っていたけれど母親になると違うのだろうか?注意の仕方をもう少し工夫すれば良いのに。二人のやりとりに「二人とも少し落ち着いて。」と仲裁をすると、妻から冷たい視線まで飛んでくるようになった。

家庭の雰囲気を良くしようと、5年生に上がる直前の春休みに旅行をしないかと提案した。春期講習もあるし苦手分野の復習がしたいので妻からは「行くなら1泊2日で世界遺産」と条件付きで了承が出たが、息子からは「春期講習がない日はサッカーの練習に行きたいから旅行には行きたくない。」と旅行の提案は却下されてしまった。家長云々の時代でない事はわかっているけれど、何となく虚しさが残った。まだ5年生なのに一泊の家族旅行にすら行けない。小学生の間くらい家族の思い出を作りたい。そんな当たり前だと思っていたことすら出来ない。妻からは「旅行には行けないけれど春休みに学校説明会の予定を入れるから息子と二人で行ってきてくれる?それも思い出になるよ」と提案された。旅行の代わりに学校説明会、、、虚しさは拭えないが妻の提案という名の依頼通り、何となく名前を聞いたことがあるその男子校の学校説明会に息子と二人で出かけた。電車の中で学校までのアクセスと偏差値をスマホで検索する。「何となく耳にしたことのある学校」の偏差値は53。受ける可能性があるのだろうか、、家からドアTOドアで50分。近くもないが、通えない距離ではない。あまり期待せずに訪れた学校だったが、生徒の半分以上はマーチ以上の偏差値帯の学校へ、上位30%はそれ以上の偏差値帯の大学に進学していると進学実績を聞き、加えてプレゼン体験やプログラミングや留学体験なども色々用意していると説明を受け、この学校もいいじゃないか、という気持ちになって帰宅した。帰宅の電車の中で息子に偏差値を聞いたら「55」と何となくそれくらいじゃないかな、と予想していた数字が返ってきた。55あればこの学校には入れる、そう思うと少し明るい気分になれた。「そうか、そのまま頑張れよ。」この春休みでサッカーを辞めさせようか悩んでいた妻には「受験を頑張るならサッカーは辞めた方が良い結果になる。」と言い、私も息子の中学受験の応援をしようと心に決めた。

5年生の夏休みは妻も子供も大変そうだった。仕事に行っている間息子が勉強をするかわからない、帰宅したら息子の宿題の丸つけ、日中に息子1人でやる課題を準備する、明らかに妻のキャパオーバーになっていた。やったやらないバトル、中学受験辞める辞めないバトルは日常茶飯事で、私は帰宅したら出来る家事をやる事となり、くつろげる家というものはどこかに蒸発してしまっていた。妻と息子のバトルの回数が増えるにつれて、息子の成績は下がり、夏休み明けの模試で息子の偏差値は入塾時よりも低い40となっていた。。

サッカークラブに通っている頃に息子と周りの子のやり取りから息子は賢いと感じていた。その息子が偏差値50にも届かない。もしかしたら塾が合っていないのではないか?そんな思いから様々な中学受験塾を調べ、転塾しないか妻に提案してみた。初めは渋っていた妻も、私が言うならと転塾の模試と相談にVアカデミーを訪れる事になった。Vアカでは宿題の管理も塾がやってくれるらしく、共働きのご夫婦も多いとか、専用の個別指導塾もあるので長期休みも任せてくれて安心だとか、そんな話を聞いた。良い時の偏差値は55、今は40だと伝えると「早く本気になりましょう、うちは体育会系なのでサッカーをやっていた息子さんにはピッタリですよ。」男性講師のハキハキとした口調は息子には合いそうだった。社会人を15年以上やっている私達夫婦はそれが営業トークだという事は十分にわかっていたし、個別があるという事は別途料金がかかるという事もわかっていたが、偏差値を55までは戻したい。転塾する事の恐怖よりその願いの方が強かった。転塾するなら早く、と5年生の秋にVアカデミーに転塾をしたのだった。

Vアカの宿題は渋谷御茶ノ水の宿題より圧倒的に量が多く、転塾しても「やらないなら辞めなさい!」「は?うるさい」等、反抗期を迎えた息子と妻の罵詈雑言は減る事はなかった。転塾を勧めた手前偏差値を上げなければと思った私も息子の勉強には携わる事になり、家族の緊張は増していった。息子の表情から生気が消えて行くような気もしたが「何かを得るためには何かを失う」「今やらなくていつやる」と何度も息子を諭すように努めた。

そもそも妻が息子を甘やかし過ぎている。やりたくないという息子の我儘を通してはいけない、わかならないならわかるまでやる、それが受験勉強のルールのはずだ。

6年生の夏休みは1日だけは旅行したいという妻の願いを却下し、夏期講習、その他の日程を全て乗り切った。受験勉強に口出しせず、家族の団らん何て考えていた5年生までの時間がもったいなく感じた。夏休み前の模試では息子の偏差値は55まで戻っていたが、目標としている60には一度も届いていなかった。5年生での失速が悔やまれた。もう少し早く私がテコ入れしていれば、、、その後悔はあるが、そこからは母校の附属校の過去問に絞って勉強した。10月、11月の合不合テスト。偏差値は49まで下がってしまった。合不合テストと志望校の問題の差は大きい。気にしなくて大丈夫、と自分を奮い立たせる。偏差値50以上の学校に進学したい。

気が付いたら誰よりも中学受験に熱中している私がいた。

 

1月は5校受験し、偏差値55の学校に〇、偏差値50の学校に✖、と不安定な結果を出しながらも2月2日は母校の附属校を第一志望に受験を進めた。本来ならMARCH以上と考えて始めた受験だったのに、色んな学校を見た結果中受でMARCH附属なら良いと本気で思う様になっていて、妻も息子も私の立てた受験プランで戦う事に何も言わなかった。

結果は2月1日✖、2月2日✖、2月3日、息子と初めて訪れた中学に〇をもらい、2月4日の学校は受験せず、2月3日のあの学校に進学が決まった。息子は「この学校好きだからこの学校で良かった」と第一志望に落ちたとは思えない清々しい表情でそんな事を言った。

受験が終わった日から息子は夜は家でタブレットを見て、私の帰宅前にご飯を食べ終えてしまい、家族団らんは無くなったままだった。サッカーにも戻らず、次は大学受験があるし、それまでゆっくりするよ、と、疲れた中年男性のような目をしてそんなセリフを吐き捨てていた。

この辛い中学受験を乗り越えたのだ、進学する中学では是非上位30%以上に入ってMARCH以上の大学に進んで欲しい、私はそう思いながら1人リビングで「大学受験 傾向」というワードを検索していた。妻は最近中学受験が終わったからと残業が多いし大学受験も私主導になりそうな予感がしている。息子の学校の半数はMARCH以上に進学するが、1/3は日東駒専以下の偏差値の大学に進学している事も私はちゃんと知っているのだ。