東京の私立中高一貫生 学生生活編 ボリュームゾーンの中学受験終了

中学受験 偏差値50を半数の親子は超える事が出来ません。そんな世界の話を書いています

ボリュームゾーンの中学受験 小学校に通う意味が疑問になる頃

事実上のラスボスと言われているゴールデンウィークから夏休みまで。

夏休みまでに偏差値が5上がらないか、それどころか下がってしまわないか、ボリュームゾーンの民は不安は尽きません。今の偏差値50と仮定すると、夏休みまでに5偏差値が上がれば57位の学校を受験できるかもしれない。反対に5偏差値が下がってしまったら滑り止めに受験できる学校は偏差値40代ギリギリになる。

6年生の5月後半、ここからはもう、どうにも逃げられない中学受験クライマックスなのです。

こんな時に学校がどうしても負担になったら、中学受験の手を緩めて学校が大事という方針にしますか?それとも、、、

ボリュームゾーンの中学受験 小学校はお好き?

「行って来ます。」朝7時前にお弁当を持って学校に出かける娘は5年前に中学受験を終え、今は中高一貫校の高校2年生だ。中学と高校と平和に女子校で過ごす事ができた。毎朝元気に学校を楽しみに出かける娘の姿。中学受験をして良かったと思える瞬間だ。

その娘はかつて、ちょうどゴールデンウィークが終わった今ごろ、小学校が楽しくないと言い出した。忘れもしない、小学校6年生。中学受験生としてとても大事な時期だった。小学校の担任が漢字の書き取りを10文字×20回、さらにその字にまつわる熟語を5個書くという宿題を毎日出していた。まあまあ受験の多い地域の小学校だったし、先輩ママのアドバイスによると中学受験の塾で忙しい事を相談すると宿題を軽減してくれる先生がいると聞いていた。なので宿題の多さを初めは何も心配せず、小学校5年生の時に合格した漢字検定4級の認定証を持って担任の先生に相談に行った。単純な漢字の書き写しは娘に必要ないと伝えたかった。その時の先生はニコニコと私の話を聞いて、そして最後に

「でもお母さん、そうやって特定の生徒に宿題をやらない事を認めるとクラスがまとめられなくなるんです。中学受験をする家庭の事情もわかりますが、塾に行かずに学校だけで学習する子の事情もわかりますか?塾に行っていないからあなたは1日20回、塾に行っているあなたは書かなくて良いわよ?と言う事を学校で行って良いと思いますか?」

とあっさりと却下されたのだ。それでもあの時の私は「せめて宿題をしなくても責めないで欲しい、あまり負担をかけないで欲しい」と真正面からお願いをした。その全ては却下され、さらには1学期の成績表はやる気がみられないと全ての教科が去年より右に一つずらされた形で付けられた。つまり、3段階の通知表で最高で2,1も4つほどある通知表を渡されることになったのだ。Y偏差値で50を超えている娘の成績表に1が付く。親子共に学校に不信を抱いた。

学校の行事、終わらない塾の宿題、終わらない学校の宿題。どうせこんな通知表を付けられてしまったのだ。2学期はもう宿題をやらない、提出しない事にした。成績表を提出しない学校に出願することを決め、ハラハラはしたが姉は無事に通知表なんて関係のない素敵な女子校に進学が決まった。

それから時を超え、何の因果かその先生が産休明けに受け持ったのは今の6年生のクラス。つまりは息子のクラスの担任となっていた。

先生は中学受験をする子に厳しい。娘の時もまことしやかに流れた噂は本当らしく、今年は例の漢字の書き取りの宿題プラス、受験をする子たちに「勉強ばかりの1年にならないように」と低学年をまとめる大変な役割の委員を中心に割り振っていたようだった。放課後に頻繁に残されるものだから、今日も塾のテストに間に合わない、家に帰って一息つく時間がない、そんな悲鳴が友人からも息子からも漏れ出した。

私は娘の時の反省から「漢字は息子の字に寄せて母が書いて提出する」事とした。姉は宿題を提出しない方法を取ったが、そのおかげで放課後残されることがあり、受験勉強の時間を作るのにかなり苦戦した。だったらもう初めから私が書いて出す。その1択とした。志望校にと思った学校に通知表が必要だから諦めた経緯が姉にはあったので、息子の成績表はできるだけ悪い数字を付けないようにと思っていた。

それでも6年生は忙しい。夜遅くまで塾、学校に行っては知っている事を先生がゆっくりと指導している。それで熱心に授業を聞けと言うのは子供の事を一体何だと思っているのだろう、先生に対して不信が積もる。

先生は中学受験組の授業の態度が悪いと放課後に受験組全員を残し「あなた達が見本となってしっかり授業を受けてくれないと皆の態度が悪くなる。授業を大切に受ける事はあなた達にも大事だし、他の人にも大事なのよ。だからお願い、みんなでちゃんと授業を受けてね。」と、子供たちの良心に訴え、中受組へ連帯責任と教え込み全体への責任を背負わせるように指導する。少し誰かの態度が悪い度にその放課後の会が繰り返されていた。

そのことがおかしいとはっきり指摘したのは姉だった。

「お母さん、我慢して6年生の今学校に通っても無駄だよ。もう受験終わるまで学校を休ませていいんじゃない?」娘は小さな声で、でもはっきりと学校は無駄だと言い切った。

「お母さん、私も小学校の時、あの先生が担任で大変だったでしょ?あの時ね、すぐに小学校に来なくなっちゃた綾子って子がいたの覚えてる?私はその時、あ、綾子逃げた。って思ったの。でも結果、綾子は私よりずっとレベルの高い中学校に入った。綾子が学校を休む前は私より少し成績は下だったんだよ?はっきり言って結果が出た時、綾子ズルイ!って思ったの。でも綾子はずるくないよ。賢いんだ、ってその後思ったんだ。」綾子ちゃんの事は私も覚えている。皆と違う道を選ぶから私学の受験をするのだ。小学校が協力してくれないなら我が家は通わせない。ご両親がそのように言っていた事を思い出した。

受験が終わるまで休ませるという娘からの提案に私は戸惑っていた。「お母さん、中学受験の勉強って本当に大変なの。夜遅くまで勉強して、それでまた学校で先生に気を使って大変で、それでも先生やみんなのためだって学校も頑張ったのに、私の成績表を覚えているでしょ?あの時私、先生に裏切られたって思ったの。先生は私たちに協力を要請するけれど私たちの未来に何も責任なんて持ってくれない。先生を信じてたのに裏切られたって辛かった。そしてそんな先生信用できない、って思いながら通う学校なんて本当に無駄なんだよ。私は弟にそんな思いをして欲しくない。」

今度はさっきより少し大きな声で、心の声を振り絞るように娘が私に訴えた。

娘にそう言われたから「はいそうですか」と明日から小学校を休ませようとは思えない。だって綾子ちゃん本人は小学校にちゃんと行きたかったって思っていたかもしれない。最後の運動会、行事、それらを休ませてまで得られるものがあるのだろうか。彼女が一生後悔する可能性はゼロではないはずだ。そう思うと先生への不満は消えないものの、何も決められそうになかった。

ゴールデンウィーク明けの一発目の模試。模試の結果は53。前回より2ポイント上がっていた。喜んだのもつかの間、今日も学校から塾に遅刻する時間に帰宅した息子。おにぎりをほおばり、休む間もなく塾に出かけて行く。私は息子のランドセルから勝手に宿題の漢字のノートを取り出して今日の漢字を確認した。

今日は蚕という字がある。いつの時代に小学生が習う字に蚕という字を入れたのか知らなけれど、蚕という字を大人になって何回書いた事があるだろうか?少なくとも私は1回もない。蚕という字を息子の字に似せて20回書き、蚕という字をパソコンに入れて使用例を調べる。蚕、、、養蚕。他に使用しそうな熟語はない。でも小学生なら何を使用するかわからないだろうから、他にも適当に文字を選んで記入した。漢字の宿題は40分かかった。

この時間は必要だろうか?ふいにその疑問がもう一度頭をよぎる。ここから3ポイント偏差値を上げられたら受験できる学校がかなり変わる。明日の学校の授業の荷物をそろえながら、どんどん思考は小学校を休ませる方向に傾いていく。

休ませよう。

ポンっとひらめいたように結論が出た。

息子には決めさせない、もちろん息子が学校を休むのはイヤだと言えば学校に行かせるけれど、本人にこの決断の責任を背負わせる事は重いと思うから私が決めた事にしよう。

塾から帰って来た息子の教材を鞄から出し、いつもなら急かしてお風呂に行かせるところを、今日はどこを勉強した?宿題は何だったときちんと内容を確認をして、ゆっくりお風呂に入っておいで、とお風呂にもゆっくり向かわせた。

翌朝も起こす事なく、息子が起きてからいつも通り朝の漢字と計算を解き、ご飯をゆっくり食べた。「今日と明日は休みましょう。学校には体調を崩したと連絡したから。」と伝えると、心配そうにしていた息子もやった~と笑顔になった。ご飯を食べたら散歩に行き、帰宅後は塾の勉強を始めた。お昼休憩にゲームを1時間許し、また勉強をした。翌日も同じようにゆっくり起きて、漢字と計算、塾の宿題。苦手の直し。春休みから復習したかった所に手を付けた。今日は塾の日だからとゲームはNGにして、その時間塾の予習をした。いつもは予習なんてする余裕はない。

その日塾で授業前に受けたテストで良い点数を取って帰って来た。息子は笑顔だった。明日は土曜日なので学校は休み。今日も鞄から出した教材をゆっくり復習してゆっくりお風呂に入った。土曜日は1日塾。その充電はできたようだった。

「来週も学校を休まない?」土曜授業が終わり、ほっと一息つくお風呂上りの息子にヤクルトを渡しながら、まるで今思いついたかのように聞いてみた。なんて答えるだろう。イヤって言うかな。返事まで少し間がありその間は居心地が悪かった。

息子は私の目を見たまま「それっていつまで休むって意味?」と的確な質問を返してきた。こちらの言わんとする事をわかっているのだ。「そうね、とりあえず夏休みまで。もしあなたが良いと言ってくれるなら、受験が終わるまで。」私の返事には少し驚いた様子だった。「それで僕は学校に行かないでどうするの?」学校に行かない事を私が決める形で進める事が出来そうだ。もう夫には事後報告になるけれど、学校は行かないようにしよう。

もう後戻りは出来ないと思った。

 

2月1日。AM偏差値57〇 午後偏差値53〇

2月2日。学校に登校。他にも10名ほど休みの子がいた。

 

6年生はほとんど休んだとはいえ5年間通っていた学校だ。息子はそれほど違和感なくクラスに溶け込み、皆の登校を待っていた。

2月3日を過ぎると、御三家に合格したクラスメイト、不本意な結果に終わったクラスメイト、みなそれぞれ学校にやって来た。

誰しも自分のやり方で戦った。幼稚園から準備した子、6年生の夏休みから準備した子、それぞれだ。誰がずるくて誰が悪いなどない。決められた受験日に決められた以上の点数を取れた学校に入学できる。受験はそういうゲームだ。

我が家は6年生の5月後半から学校生活を捨てた。だから得た結果だ。その結果に誰かが何かを言っても、遠吠えでしかない。人生その他人の遠吠えに自分の決断をゆだねてはいけない。そう教えてくれた担任の先生に感謝だし、自ら気づいた娘の事も尊敬している。

 

この話はとってもフィクションです。皆様のよい受験を祈っています。

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↓実際の過去記事はこちら

mamahensachiagetai.hatenablog.com